女性スポーツサミット2007 報告

2007年1月14日(日)東京都北区のスペースゆう・プラネタリウムホールにおいて、「女性スポーツサミット2007」を開催しました。
スポーツ指導者や愛好者、競技団体関係者、スポーツに関わる仕事をされている方、報道関係者など、合計102名の方々にお越しいただきました。

また、「女性スポーツサミット2007」中では、JWSウェブサイト上で募集をしていた「私のスポーツいきいきストーリー」の優秀賞発表を行ないました。審査によって選ばれた3名の方に、ゲストの井村 雅代氏、漆 紫穂子氏、間野 義之氏からそれぞれ副賞が贈られました。
受賞者の「私のスポーツいきいきストーリー」とゲストからのメッセージはこちら

※開催概要はこちら

<スケジュール>
12:30 開場、受付開始

13:00
開会、あいさつ
第1部 女性とスポーツ〜JWSの軌跡〜
13:45
休 憩
14:00
第2部  スポーツにかかわるすべての人へ


〜みんなで語ろうスポーツのこれから〜
ゲスト: 井村 雅代 ・ 漆 紫穂子 ・ 間野 義之
16:00 あいさつ、閉会





松永夕加正会員、稲垣昌司正会員

第1部  女性とスポーツ〜JWSの軌跡〜

☆ナビゲーター☆
松永 夕加(JWS正会員) ・ 稲垣 昌司(JWS正会員)

1998年の設立以来、8年計画を掲げて行なってきたJWSの活動を、日本・アジア・世界の女性とスポーツの動向と共に振り返りました。参加者には、『女性とスポーツ〜JWSの軌跡〜』の冊子が配布されました。 

JWSが行なってきたすべての事業を紹介することは時間的に不可能だったため、各年度につき1〜2の活動(事業)をピックアップして紹介し、会場にいる方々にコメントや感想を伺いながら進行しました。







JWS冊子の写真


1998年度
の主な活動
JWS設立
小笠原悦子JWS理事長は、1998年にアフリカのナミビアで開催された「第2回世界女性スポーツ会議」に参加しました。その会議の閉会式の時に、「2006年の第4回目の世界女性スポーツ会議は、アジアで開催します!」と発表されたのを聞いて、「アジアの代表として日本がイニシアティブをとらなくては!」と思ったそうです。
小笠原JWS理事長は、ナビゲーターからその理由を聞かれ、「世界中のトップの女性が集まった中で、残念ながら、アジアからはパワーがある女性の参加者はいなかった。8年後に、アジアで世界女性スポーツ会議が開かれるにあたり、アジアのリーダーシップを取れるのはどこかと考えたとき、日本しかないと感じた。日本がイニシティブを取らなければいけないと考え、その基盤づくりのための組織としてJWSを設立しようと思った」と答えました。
1999年度
の主な活動
「第2回女性トップコーチセミナー」開催
井村雅代氏には、「第1回女性トップコーチセミナー」から参加していただきましたが、第2回目は、柔道の母ともいわれるアメリカ人のラスティ鹿子木(かのこぎ)氏を招いて、日本のトップコーチたちに、鹿子木氏の話を聞いていただきました。今では女子の柔道がオリンピック種目であることが当たり前ですが、1992年までは正式種目ではありませんでした。ラスティ鹿子木氏のような先駆者の努力があり、女子柔道はオリンピックの正式種目になりました。
2000年度
の主な活動
『ハラスメント・フリー・スポーツ』翻訳・製本
オーストラリア・スポーツ・コミッションが作成したガイドラインを、JWSが翻訳・製本しました。たとえば、「コーチの身体のどの部分が、どのくらいアスリートに接触しているか注意しましょう。体温を感じたりすることは、選手に嫌な感覚を引き起こすこともあります」といった、具体的な指標が示されています。

『資料で見る女性とスポーツ2000』作成

散在していた女性とスポーツに関する内容のデータ、資料を1冊の冊子にまとめました。その内容は、たとえば、競泳競技の長距離といえば、男性は「1500m自由形」であるのに対して、女性は「800m自由形」です。男女共に実施されている競技であっても、性別によって異なる種目があります。このように細かいデータを、生涯スポーツ、学校体育などさまざまな分野ごとに収集し、冊子としてまとめあげました。
2001年度
の主な活動
「第1回アジア女性スポーツ会議」開催
アジアの女性とスポーツに関する内容の「カンファレンス」と一般の方にも楽しんでいただける「フォーラム」からなる構成で、たくさんの著名人にも参加いただき、盛大に開催しました。アジア14の国と地域から約500名が参加した会議でした。
また、アジアで初めて、女性とスポーツのネットワークが確立し、「アジア女性スポーツワーキンググループ」も誕生しました。
2002年度
の主な活動

「第5回女性トップコーチセミナー」開催
東京で開催してきたこのイベントを、初めて、熊本市で開催しました。午前中は、井村雅代氏の教え子たちのシンクロナイズドスイミングチームである“アクアドリーム”のショーが行われ、熊本市民にも楽しんでいただきました。その後、午後の部として、井村氏と柔道の山口香氏、新体操の秋山エリカ氏によるパネルディスカッションを行なったあと、日本のゴルフ女子賞金女王の不動裕理選手を育てた、熊本出身の清元登子(たかこ)氏と、アメリカの女子ゴルフ賞金女王のアニカ・ソレンスタム選手を育てたピア・ニルソン氏の対談を行ないました。井村氏はこのとき初めて、清元氏と出会いました。
ナビゲーターから、そのときの感想を聞かれた井村氏は、「これほど私と同じ考えで指導している先生(先輩)がいるのか、と思った。心に残っていることは、不動裕理選手に親の嫌いなところはどこだと、嫌いなところを挙げさせて、“それがあなたなんだよ”と指導されたこと。親の嫌いなところが、子供にも移るというのが今でも忘れられない」と語りました。


『女性のためのスポーツ指導』ビデオ全5巻完成

第1巻「からだの特徴と変化〜性差と加齢の影響〜」
第2巻「コンディショニングと障害〜予防と調整の基礎知識〜」
第3巻「からだづくりの基礎知識〜効果的なトレーニング〜」
第4巻「女性のライフステージと栄養〜健康スポーツと食事〜」
第5巻「女性のためのスポーツ栄養〜コンディショニングと食事〜」
このビデオは、大学の授業で使われたり、図書館などに設置されています。ビデオの監修者のほとんどがJWSの役員や会員です。

2003年度
の主な活動
「女性スポーツサミット2004」開催
過去5回にわたり「女性トップコーチセミナー」として開催してきましたが、トップにこだわらずに開催してみようということになり、この年から「女性スポーツサミット」を開催することになりました。全体会を行なったあとに、3つのワークショップを同時に開講するという構成でした。

「第1回女性スポーツネットワーク会議」開催

日本には、陸上や水泳といった競技団体や、ママさんバスケ、ママさんバレーなどの家庭婦人の団体など、さまざまなスポーツの団体があります。その団体の中の縦のつながりは非常に強いものがあるのに、よその団体のことはまったく知らないというケースがほとんどでした。そこで、団体の中の「縦」のつながりだけでなく、「横」にぐ〜っと串をさすようないう役目をJWSが担おう!ということで、ここで、初めて、さまざまな団体の理事や関係者同士が顔を合わせて話し合いが行なわれました。ネットワーク作りの第一歩を踏み出したときでした。
2004年度
の主な活動

「女性スポーツサミット2005」開催
川淵三郎氏、清元登子氏、井村雅代氏によるディスカッションは豪快でした。日本のスポーツ界の指導者、ビッグスリーである方々の話を聞きたいと、多くの参加者、報道関係者が集まりました。特に印象的だったのが、川淵氏の「女子サッカーの発展なくして日本サッカーの発展なし」という言葉でした。
後半は、バレーボール元アメリカ代表のヨーコ・ゼッターランド氏とバスケットボールの萩原美樹子氏、さらにJWS会員で産婦人科医の江夏亜希子氏によるディスカッションを行ないました。第一線で活躍してきた選手たちが、女性の立場からスポーツ界の現状について話をしてくださいました。江夏氏からは「女性に月経があることについてそれをマイナスと考えず、いかにそれをスポーツライフに活かしていくかを考えることが重要である。」という提言がありました。このイベントに参加した後に、自分の身体が異常であることに初めて気がついて、江夏氏のところで治療を受けたというマラソンランナーがいたり、危機を感じた指導者が、チームの選手に対して講習を開いてほしいと依頼してきたりと、たくさんの反響がありました。今でも日本では、「生理なんてあるうちは、まだまだ練習が足りない」という指導者もいるという事実もわかりました。

『日本の女性スポーツ振興のための展開方策』発表

「女性スポーツネットワーク会議」は5回にわたり開催され、いろいろなことが話し合われました。日本のスポーツ界の法律ともいうべき『スポーツ振興基本計画』の中には、「女性」に関する内容がまったく盛り込まれていないので、盛り込んでもらうにはどうしたらいいかを考えてみようということになり、そんな時、ちょうど『スポーツ振興基本計画』見直しの年を迎えました。どんな問題があって、どうしたらいいと思うか、ということをデータや図表を示し、『日本の女性スポーツ振興のための展開方策』という形でまとめました。このデータ集を作成した「女性スポーツネットワークプロジェクトチーム」のリーダーを務めたのは間野義之JWS理事でした。
経緯を聞かれた間野氏は、「国の予算、自治体の予算というのは法律にかかれているかが前提になる。ロビー活動を始めるためにデータを集めようと、この『日本の女性スポーツ振興のための展開方策』作成に着手した」と話しました。

2005年度
の主な活動
スポーツ栄養普及活動の実施
JWSには、スポーツの分野で活躍している管理栄養士が会員として所属しています。スポーツ栄養士の活躍の場を広げよう、人材を育成しようということで、「スポーツ栄養普及活動」を実施しています。企業と連携を図り、スポーツ栄養の講習会にJWS所属の管理栄養士を派遣するということを、この年度は、年間40件行ないました。日本の北から南、交通の不便なところまで、正しい知識を得て実践してもらうために、JWS所属のスポーツ栄養士が活躍しました。

「女性スポーツサミット2006」開催

「2006世界女性スポーツ会議くまもと」の直前に開催したこのイベントは、たくさんの著名な方々が快くパネリストを引き受けてくださいました。毎日新聞社の冨重圭以子氏とスポーツライターの増島みどり氏のセッションは、女性だから苦労した、得をしたという、普段は聞けないマスコミ界の裏話を披露してくださいました。そのほかにも、水泳連盟の理事になられた木原光知子氏や陣内貴美子氏など、たくさんの方々が、意味のあるメッセージを投げかけてくださいました。
2006年度
の主な活動
「2006世界女性スポーツ会議くまもと」開催
2006年5月11日から14日までの4日間の会議でしたが、熱くて、温かくて、いろいろな人の、いろいろな思いが込められた盛大な会議を開催することができました。
会議の全体会や分科会は、世界各国の方々によっていろいろな意見が出され、それぞれが、パワーを持ち帰りました。JWSのメンバーは、この会議の運営や業務のリーダーシップをとり、次の日の朝までに出す速報を作成するため、夜も寝ないで作業を行ないました。
そして、何よりも印象深かったのは、熊本で開催したからこそできた演出があったことです。会議以外のイベントや、街全体が一致団結したもてなしは、とてもすばらしく、海外からの参加者が、「こんな会議には今までに参加したことがない」というくらい、熊本市民の温かさが伝わる会議でした。お茶やお花、着物の着付け体験や、日本ならではの武道体験。そして、熊本市の小学校の体育の授業を見学したりと、参加者にとっては、時間が足りないくらい、盛りだくさんのプログラムが用意されていました。
世界会議としては異例なことですが、会議の決議文は、小笠原JWS理事長が日本語で表現することを希望し、“アジアンスピリッツ”を込めて、『熊本協働宣言』として採択されました。


● 『スポーツ振興基本計画』改定される

大成功をおさめた「2006世界女性スポーツ会議くまもと」のお陰で、日本のスポーツ界の法律ともいえる『スポーツ振興基本計画』が改定される際に、「女性」に配慮された内容が随所に盛り込まれました。2006年5月31日に開かれた「中央教育審議会 スポーツ・青少年分科会 スポーツ振興小委員会」に、小笠原JWS理事長が呼ばれ、そこで、どうして、「女性」という観点が必要かということを、委員の皆さんにわかりやすく説明しました。決め手となったのが、前に述べた、『日本の女性スポーツの振興と展開方策』でした。データを示して、論理的にわかりやすく説明できたことがこのような結果につながりました。


第2部 スポーツにかかわるすべての人へ 〜みんなで語ろうスポーツのこれから〜
☆コーディネーター☆
池畑 亜由美(JWS正会員) ・ 小林 美由紀(JWS理事)

☆ゲスト☆
井村 雅代(Masayo IMURA)

1950年生まれ。大阪府出身。
小学校3年生より大阪堺市の浜寺水練学校に入門。
天理大学卒業後、中学校の保健体育科の教諭を務める。
1978年から日本代表コーチに就任し、1985年に「井村シンクロクラブ」を設立。
1984年ロサンゼルスオリンピックから2004年アテネオリンピックまで6大会連続のメダル獲得を成し遂げた。1996年アトランタ大会、2000年シドニー大会、2004年アテネ大会はヘッドコーチ。
2006年、「平成18年度地方教育行政功労者(文部大臣表彰) 」を受賞。
2006年12月24日、中国代表チーム監督就任を正式に表明した。

☆ゲスト☆
漆 紫穂子(Shihoko URUSHI)
1961年生まれ。東京都出身。
他校の国語教師を経て1989年から品川女子学院にて学校改革に着手、7年間で入学希望者数が60倍に。
「私たちは世界をこころに、能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、才能を伸ばし、夢を育てます」というミッションを掲げ、社会で活躍する女性の育成を目指し、従来の学校の役割を超えた生徒と社会を結ぶ学校作りを実践している。
小・中は水泳、高校・大学時代はバスケットボールに熱中し、現在はトライアスロンに挑戦中。
品川女子学院HP『校長日記』で日々の学校の様子を綴っている。
☆ゲスト☆
間野 義之(Yoshiyuki MANO)
1963年生まれ。横浜市出身。
1991年東京大学大学院修士課程教育学研究科修了後、(株)三菱総合研究所において11年間勤務。現在、早稲田大学スポーツ科学学術院助教授。
日本体育協会指導者育成専門委員会委員、Vリーグ機構理事、日本テニス事業協会理事、JFAスポーツマネジャーカレッジオーガナイザー、JBL新リーグ設立委員会アドバイザーなどを務める。
NPO法人ジュースでは理事を務め、主に調査研究事業などを担当。
専門はスポーツ政策論。

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〜第2部開会〜

*******************
スポーツには、不思議な力があると思いませんか?
楽しむ、人を育てる、健康を保つ、仲間の絆、勝敗の厳しさ・・・。
スポーツにかかわる人たちの“キラキラ”している瞬間です。
******************

第2部開会と同時に、『キラキラ☆スポーツフォト』と題して、子供から大人まで、スポーツしている人たちのいろいろな表情を捉えたスポーツフォトが上映されました。

〜ゲスト〜
井村 雅代氏(シンクロナイズドスイミング中国代表ヘッドコーチ)
漆 紫穂子氏(品川女子学院校長)
間野 義之氏(JWS理事、早稲田大学スポーツ科学学術院助教授)

〜学校教育において、スポーツに力を入れるということ〜
漆氏が、「社会で活躍する女性をつくるのが品川女子学院の目標。昨年、競泳のインターハイで優勝者が出たが、現在、その生徒は東大受験に向けて勉強中」と語ると、会場からは驚きの声が上がりました。品川女子学院は、スポーツに限らずクラブ活動に力を入れていて、進学校でもあり、学校行事も盛んな高校です。「社会に参加するということは、複数のことをしながら生活をするということ。何かひとつだけをしていけばいいものではない」と語り、「勉強はしなければいけないこと、クラブ活動は好きなこと、行事はみんなのためにやることで、これらの取り組みによって社会に出ても時間管理ができる人間を育てることや、いろいろなことへのモチベーションにつながる」と話しました。
また、「仕事をしながらスポーツすることと、子供(生徒)が勉強をしながらスポーツすることと似ている気がする」と言い、漆氏がトライアスロンを始めたきっかけも語りました。「毎日、夜10時ごろまで学校にいて仕事をし、自分がやっているから回りもそれくらい仕事をしなさいという雰囲気があった。しかし夜7時半から水泳をする、と決めて仕事をすると、夜10時まで仕事をしていたときと、効率はそれほど変わらなかった。疲れていても、水泳をした後は、違う自分になれる。スポーツには不思議な力がある。早いうちに子供に教えて習慣にさせたい。そうすれば、人生が充実したものになると思う」と、自身が体験したスポーツの魅力と、スポーツが生活や仕事、勉強に与える影響を語りました。


〜アテネオリンピックが終わってから考えていたこと〜
井村氏は、「アテネオリンピックが終わってから、自分にとって7回目のオリンピックはないと思っていたが、ありましたねえ」と笑顔で話し、「中国チームのウエアを着たらどんな感じになるのかまだわからない」と少しの不安ものぞかせながらも、「昨日(13日)に自分のクラブ(井村シンクロクラブ)の練習を見て、日本のいいところ悪いところ、中国のいいところ悪いところがわかった」と話しました。
アテネオリンピックを終えて、井村氏は指導者と選手の両方を育てたいと思っていました。しかし、「今思えば、2004年で自分の進化は止まっていたんだと思う。翌年の2005年は、選手とコーチをちゃんと教えられていると思っていたが、2006年になると、過去を教えているなあという気持ちになった」と話し、「今のシンクロを教えているのだろうか」という疑念がわいてきて、爽やかな気持ちがしなかったという心境を語りました。「自分は進化したがっているのだ、変わりながら、選手とコーチを教えたい」と思ったそんな時期に、中国のシンクロチームから、井村氏にヘッドコーチの要請がありました。
「2008年の北京オリンピックは、中国にとっては開催国としての絶対失敗できないオリンピックであって、それを“あなたに頼む”と言われたら、断れますか? シンクロで日本は世界のトップを行っているという自負があったから、これは断ってはいけないと思った」と、井村氏は力強く語りました。中国に行くことに賛否両論ある中で、“何を考えているのか”という声もありました。「北京が終わってからいけ、という声も聞いたけど、今は本気で中国を強くしようと思っている。これまで蓄えてきた自分の持っているものを“出す”ばっかりという発想はさみしい。選手に接し、選手からいろいろ投げかけられて大きくなっていき、コーチとしての引き出しを増やせると思いたい」と指導者としての大きな理念も語ってくれました。
中国からヘッドコーチの要請がきたとき、「“ヘッド”ではなくて、もっと下のほうのコーチ(アシスタント)でもいいかなと思ったが、それでは、言いたいことが言えないかもしれない」と考えたそうです。中国がヘッドコーチに就任してほしいと言っていて、「風当たりが強いのは、どんなコーチになっても同じ」ならと、心を決めた心境も話してくれました。「目の前の選手はみんなかわいいと思うのがコーチ。かわいいから強くしたい」と中国代表チーム指導への意欲を語りました。


〜女性とスポーツに興味を持った理由〜
間野氏は、JWSが設立される前に小笠原JWS理事長と出会い、その理念に共感を持ち、NPOとして運営することを薦めた超本人でもあります。どうして、その理念に興味を持ったかという理由を、「スポーツ実施率統計をとると女性が10ポイント低く、スポーツをする女性を増やせばスポーツ実施率が上がり、スポーツによって社会がよくなると思っていた」と語り、自分の好きなスポーツで日本をよくしたいと思っていた当時の心境を吐露しました。
「女子サッカーの発展なくして、日本サッカー界の発展なし」と、川淵三郎キャプテンが言ったずっと以前から、間野氏は「女性の参加なくして、日本のスポーツの発展なし」と、いろいろなところで発言していたとして、女性とスポーツの可能性をいち早く見い出し、これまでの活動を通し、この先何ができるかを考えていきたいと話しました。

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〜女性のリーダー・指導者育成について〜

井村氏は、リーダーや指導者を育成することについて、「選手とは違って、指導者を育てるには距離感が必要で、その微妙な距離感に苦労した」と言います。「指導者のすばらしいところは、一人の人を助けられたら、この世に生まれてきた価値があると思えること」と言い、「人に影響を与えられる職業に就きたいと思って教師になった」と、セカンドキャリア選択のエピソードも明かしました。井村氏は中学校教師を経て、シンクロのコーチになりましたが、「指導者という仕事を続けられるのは、オリンピックに出場できたからでも、メダルを取れたからでもなくて、その子の人生に影響を及ぼすことができるから。それが快感だからやめられない」と語りました。
現在、中国での指導を開始し、「朝8時から夜の8時までぶっとおしで練習し、参ったと言わせた(笑)。でも、彼女(中国の選手)たちに、いつか、私と出会ってよかったと思わせたい」と新しい土地での指導に意欲をみせました。
ただ、自分が教えた選手が指導者になろうとしたときに、教え子から、“井村先生をずっと見てきているから、指導者というのはとても怖い仕事ということがわかる。だからその仕事(立場)に就くことは自分はできない”と言われことを明かし、「このことに対する答えは今はまだ出ていない。これから指導を通して考えていけば、きっといつか答えが出せると思っている」と穏やかな表情で語りました。
間野氏は、女性のリーダー・指導者育成について、「組織を考えたとき、マネジメントをする女性の人材が必要だと思う」と話し、「組織の方向性を決めるのはマネージャーだが、その立場のほとんどが男性」という現状を紹介した上で、「女性のマネージャーを養成することが必要だ」ということを訴えました。そして、現在の日本における取り組みとして、「サッカー協会には指導者育成のプロジェクトがあり、これには女性も参加している。日本体育協会にはクラブマネージャー養成というプログラムがあり、女性も積極的に参加できるような環境づくりがスタートしたところ」と紹介し、「競技者は3割が女性だが、指導者の割合は1割を切る。もっと門戸を開くべきだと思う」と日本のスポーツ政策の改革も必要であることを語りました。
漆氏は、女性のリーダーを育成することについて、「生徒に対しては、常に自分が見本になるように心がけている」と言い、「社会で活躍する女性の教育を念頭においているが、リーダーとして仕事を任せられる人は心身ともに健康な人」で、スポーツは、心身の土台を作ることに役立つと語りました。さらに、「周囲の人を励ましながらやっていたら、トップリーダーになったという女性が多く、そういう意味でも、男性と違う活かし方があると思う」と話し、「女性の社会進出は絶対に必要であり、それがどういう人かと考えたとき、スポーツを通じてそのリーダーシップを学ぶことは大きい」と教育の立場から見たスポーツの魅力を語ってくださいました。
参加者とのディスカッション
●女性のリーダーを増やすための取り組み
スポーツ団体関係者の女性から、「女性の指導者はまだまだ少ないが、男女問わず、現場が生き生きしていることが大切だと思う。もっと、情報交換ができる環境が整えば、リーダーになれる人も出てくると思っている。協会の中の取り組みはこれからで、現在、女性指導者にアンケートを取って集計をしているところである」という情報が提供されました。
そして、これに対し、間野氏は、「スポーツ競技の協会・連盟の横のつながりがまだほとんどない現状であるが、ぜひ、そういったことに取り組もうとする、マネジメントの部分で活躍する女性が出てきてほしい」とエールを送りました。

●指導者やスタッフの地位向上のために


スポーツドクターをしているという男性から、「自転車とサッカーにメディカルの分野で関わっているが、どちらもお金がない現状。お金がないと、最初に削られてしまうのがメディカルスタッフで、そういった扱いをされないためにはどうすればいいか」という質問が出されました。
これに対し、井村氏は、「中国に行って感じたことは、日本という国は、結果にしか興味がないが、中国は(結果にも興味があるが)日々の練習にも興味があるところが大きな違いだと思う。中国は、日々の練習にも国家の上の人が興味を持ち、選手はコーチが育てるという根本がある。日本はコーチを大切にしないところがあるが、中国ではコーチも大切にしてくれるので、落ち着いて指導ができる。今の私の唯一の贅沢は、2日1度、専門のトレーナーが部屋まで来てやってくれるマッサージ。選手に対しても、週に4日くらいはトレーナーがマッサージをしてくれるので故障も少ない。」と語りました。
また、「日本はコーチの処遇は低いと思わないか?」という質問を受け、井村氏は、「以前に、自分はプロのつもりでやっていたのに、コーチは“趣味”じゃないかと言われたことがあり、とてもショックだった。オリンピックを見ても、趣味(日本)対、専門職(中国)が戦っているようなものだと思う。そういう面では、本当に日本のコーチは優秀で尊敬する。メダルの数を増やそうと思ったら、ボランティアの美学ではなく、コーチ、スタッフの待遇を変えないといけないと思う。指導に安心して打ち込める環境を提供してほしい。日本も一度、獲得メダルがゼロになったりすると、国も考えるかなあと思ったりするが、毎回しっかりメダルが取れているから大改革が起きない。恵まれない環境の中で選手のことを考える日本のコーチやトレーナーは本当に素晴らしいと思う。しかし、その人たちに頼っていてはいけないと思う」と日本における指導者やスタップの地位・待遇の低さを語りました。
一方、間野氏は、スポーツ政策を専門とする立場から「スポーツをするには必ずお金がかかるが、日本は国内スポーツ総生産(GDSP:Gross Domestic Sport Product)が低く、スポーツにお金を使っていない。中国は全面的に政府が負担するが、日本の場合は政府のほか、企業と家計が負担している。スポーツに“する、見る”ことに対してお金を出し、全体のパイを大きくしないと、コーチやトレーナーにはなかなか回ってこない現状である。伝統的な考えもあり、指導者やスタッフよりも、まずは選手にお金を払うということがあることも事実だと思う。しかし、それは違うと思う。選手を育てているのは指導者であって、お金の分配の方法を変えるということをすべきだと思う。スポーツは教育の一環で、ボランティアでやることが美徳であるという戦後の考えは、先進国となった日本のスポーツ界も変わっていかなければいけない時期に来ている。日本はこれから、スポーツが産業化されるような施策を考えていかなければいけないと思う」と日本のスポーツ界の進むべき方向性を示唆しました。

〜スポーツ界の女性リーダーから〜


竹宇治(旧姓:田中)聰子氏:ローマオリンピック競泳銅メダリスト / JWS理事

「現在は、ぜんそくの子供たちから大人まで、幅広い層に水泳を教えている。プールにいくのが楽しいからずっと続いていて、自分も楽しんで、そして教えることでパワーをもらっている。女性にはいろいろな役割があるが、いろいろ経験したあとに、世の中のために、と考えられるといいと思う。私の目標は、寝たきり老人をなくすこと。介護されなくても元気でいられる老人を増やすこと」と語りました。
これに対し、井村氏は、「私にとって、田中聰子さんといえば憧れの人。今はチームを引っ張っているが、いつかはそういう活動がしたいと思っている。元気で、1人暮らしができる、そういう老人が増えるようになればいいと思っている。いつか指導者を退いたら、先輩の後を追いたいと思っています」と笑顔で話しました。

清元登子氏:(社)日本女子プロゴルフ協会副会長 / 不動裕理・大山志保・古閑美保選手らを指導
「日本のコーチの生活はとても悪い状態だと思う。私自身はプロを教えているから今はいいが、弟子たちが育つまでは無料奉仕だった。日本には、ただで指導してもらえるという固定観念があって、これからもそういう状態が続くなら、日本は他の国に負けてしまうだろう。それぞれの分野で秀でていくためにはそれなりの援助が必要で、そうしなければ、特に女性は育たないのではないかなと思う。井村さんがアテネでヘッドコーチを降りたとき、もうやめるのかなと思った。自分には、50歳から60歳にかけての10年間が一番いい指導ができたという気持ちがあり、だから、井村さんはその一番いい時期に辞めてしまうのか(残念だな)と思っていた。ところが、中国のヘッドコーチになると聞いて、やっぱりただでは枯れないなと思った。中国選手を強くすれば、日本中のコーチの励みになる。世界に出て戦えるというコーチは初めてなのだから、つまらないことは言わずに、日本国中で応援したい。そして、いろいろなことを吸収して戻ってきたときは暖かく迎えたいと思う。ぜひ、頑張ってきてください」と井村氏にエールを送ると、井村氏は立ち上がり深々とお辞儀をして、「ありがとうございます!」と晴れ晴れとした笑顔で答えました。

〜最後に〜

女性とスポーツの環境をサポートしていくには、さまざまな形があると思います。私たちは、そのひとつとして、女性のリーダー、指導者が大きな役割を果たすのではないかと思っており、今後、女性の指導者養成のプログラムを考えていくべきではないかと考えています。そして、指導者の地位向上について考えたり、スポーツを産業化することで日本のスポーツ界全体を、そしてスポーツに関わる女性の環境をサポートしていくということができるようになればと、これからも努力していきたいと思います。
めざましく社会が動いていく中で、人というのは、“動いていける人” “動きをただ見ている人” “動きにまったく気づかない人”の3つのパターンに別れるのではないかと聞いたことがあります。このイベントに参加してくださった皆さんは、動きを察知して、動ける人だと思います。スポーツ界をリードしていくというのは、きっとそんなに難しいことではなく、ここにいるみなさん一人一人ができることではないかと感じています。みんなが声をかけることによって、ネットワークが広がっていき、それが大きな動きになっていくのだと思います。
では、未来のスポーツ界をリードしていく皆さんに向けて、ゲストの方々から最後にメッセージをいただきたいと思います。

間野氏
「日本はオリンピックの獲得メダル数も増えてきたし、いろいろなスポーツが強くなってきているけども、世界と比べると、やらなければいけないことがたくさんある。カリスマ的存在の指導者に依存するのではなくて、自分でできることはどんどんやっていくことが大事だと思う。そういう主旨でJWSも立ち上げた経緯がある。皆さんも、誰かが何かをしてくれるという傍観者ではなく、自分に何ができるかということを考えて動いてほしいと思う。そういう人たちをJWSとしても支援していきたいと思う」

漆氏
「遠征に教員を派遣するときにすべて自費で遠征しているので、国からはスポーツに対してお金が出ないということはよく知っている。81年前に曾祖母が学校を立ち上げた当時は、女性に参政権もなかった時代だった。できることから、という考えで、まず手に職をつけようと近所の女性を集めてはじめた学校が今の品川女子学院になっている。文句を言っていても始まらないので、自分ができることからちょっとずつやっていくことが大事だと思う。それが大きな動きになるということを感じでいるので、ここに集まったことがご縁で何かが始まるといいなあと思っている」

井村氏
「日本のコーチが海外に出て行くことが初めてという中で、何か皆さんにメッセージといっても、今は言えない状況にある。北京オリンピックが終わったあと、私はいろいろなことを感じて帰ってくると思う。そのとき、スポーツが強い日本であってほしいと思うし、私が中国で吸収したことを反映できたらと思っている。そのために今できることは、自分の前にいる選手の力を限界まで引き出すこと。きっと、北京オリンピックを振り返るときがきたら、何か皆さんにメッセージを送ることができると信じているし、そして、それが日本を支える指導者やスタッフにいい影響を与えられればいいなと思う。今度、北京オリンピックが終わったあとに開催されるJWSの会に出るときには、きちんとしたメッセージが出せると思う」

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多くのJWS会員やボランティアスタッフと共にサミットを開催しました。